「おう!この見事に咲いた遠山桜、忘れたとは言わせねえぜ!」
こんにちは。
木曜日担当の南村 ちえです。
昔は遠山の金さんや水戸黄門などの時代劇を、祖父母と一緒によく見ていたなぁと懐かしくなりました。
今日の紹介は、遠山の金さんのお父さんも通ったかも?!長崎街道の『一の瀬口』、蛍茶屋にある『一の瀬橋』です。
先週、火曜の田中さんが投稿された長崎街道ですが、こちらの『一の瀬口』もその一部です。
「一番はじめのところと言う意味で、「一の瀬」となった」とネットで見ました(「長崎市公式観光サイトあっ!とながさき」さんより)。
この辺り一帯を『一の瀬口』と言い、茶屋も「一の瀬茶屋」だったそうですが、蛍の名所だったことからいつの間にか「蛍茶屋」と言われるようになったんだとか。
「蛍茶屋」で蛍を見ながら酒を飲む。この頃は歓送迎会も、風流だったんですね。
橋の近くに蛍茶屋の石碑があります。
遠山の金さんのお父さん、遠山左衛門尉景晋氏は第84代の長崎奉行で、ロシアとの通商会談を行った人物です(案内板より)。←そしてこの会談の為に、初めて長崎を訪れたそうです。
南村は、案内板を読んで遠山の金さんを思い出し(世代的に橋さんや杉さまより松方さんが主です(笑))、頭から離れなくなってきました(なので冒頭のセリフをネットで検索して探してみました(笑))。
ちなみに『一の瀬橋』の先には、毎年2月頃に咲く早咲きの桜があります。
この『一の瀬橋』、今は草に覆われていて、写真は残念なことになっていますが、本来はキレイな石橋のアーチ橋です。
1653年、唐大通事(中国語の通訳さん)陳道隆(日本名:穎川藤左衛門)氏が私財を投じて仮設されたんだそうです(案内板より)。
この周辺、当時の物は少ないですが、近くには、以前金曜のぢんこさんが紹介されていた「長崎四国八十八ヶ所の霊場」などもありますので、ぜひ皆さんにもゆっくり歩いていただけたらなぁと思います。
今日の紹介は、遠山の金さんのお父さんも通ったかも?!長崎街道の『一の瀬口』と『一の瀬橋』でした。